心ここにあらざれば視れども見えず
先日の諺侍で、『心ここにあらざれば視れども見えず』が紹介されました。
この諺の元は、『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味わいを知らず』で、中国の儒教の教典、『大学』からです。意味は、『心が他のことに奪われていると、たとえ目はその方に向いていても何一つ見えはしない、聴いているようで何も聞こえていない、食べていてもその味がわかならい』となる。五感は心によっていかようにもなってしまうと言うことです。集中して心がそこにあったなら、より視え、より聴こえ、より味わえるということです。『心ここにあらざれば』ですが、いかに気がつくか、どのように集中するか、ということがとても大切ですね。気づかなければ心がそこにありませんから。
英語では、
The eye is blind if the mind is absent.
と言います。
この諺の元は、『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味わいを知らず』で、中国の儒教の教典、『大学』からです。意味は、『心が他のことに奪われていると、たとえ目はその方に向いていても何一つ見えはしない、聴いているようで何も聞こえていない、食べていてもその味がわかならい』となる。五感は心によっていかようにもなってしまうと言うことです。集中して心がそこにあったなら、より視え、より聴こえ、より味わえるということです。『心ここにあらざれば』ですが、いかに気がつくか、どのように集中するか、ということがとても大切ですね。気づかなければ心がそこにありませんから。
英語では、
The eye is blind if the mind is absent.
と言います。